日常のドラマはラジオから流れる。

 
ご来訪に感謝。
ところで、こんなことを思う時がないだろうか?
 
  • 無性にラジオが聴きたい。
  • 無性にエッセイが読みたい。
  • 日常のドラマというものを見てみたい。

 

ちょうどよかった。

そんな人にオススメのエッセイがある。

それは『村上春樹・文、大橋歩・画』の...

 

 

 

 

ばーん!

 

村上ラヂオとあらすじ。

著者の50のエッセイと大橋歩の銅版画101点のコラボレーション。雑誌「anan」の好評連載が一冊に。しみじみ、ほのぼの。あなたの心にすとんとしみる、久しぶりのエッセイ集。(「BOOK」データベースより)

 

 

どんな話?

 
  • 例えばいいじいさん。
  • 大橋歩さんの版画。
  • 合わさればラヂオ。

 

例えばいいじいさん。

 

 

 

『異人さん』というワードを『いいじいさん』とか『にんじんさん』とか間違えている人がいて、それを広げに広げ村上さん独自の解釈により捌いていく話がある。

 

まず、僕は『いいじいさん』から三ページのエッセイを書くことは出来ない。あわよく書けたとしても面白さの概念をどこかに置いた般若心経のようなものが出来るであろう。無理に付け足した話ほど興ざめなものはない。

 

筆者はそれを無理なく広げ、ドラマへと作り変える。広げられたドラマには、僕もいいじいさんも異人さんも、つい舌を巻いてしまった。

 

 
将来はいいじいさんになりたい。
 

 

大橋歩さんの版画。

 

 

 

 

版画には人間が表れる。芸術家でも何でもない僕が言うのもおかしいかもしれないが、大橋歩さんの版画からは底知れぬパワーを感じた。

 

僕は大橋さんを知らなかったのだが、村上さんの文章を引き立て逆もまた然り、文章は大橋さんの版画の意味を深めている。不思議な版画を見ている内に、呆然としてくるのだが、なぜかずっと見入ってしまう。不思議な版画は不思議だ。

 

 
不思議版画発見。 

 

合わさればラヂオ。

 

 

 

きっと、この二人は出会うべくして出会ったのだろう。

 

筆者は話を広げるだけではない。そこに面白さのエッセンスと、とんでもない角度からの解釈、精密な何かを測定するメーターが振り切れるような知識が加えられている。

 

そして、大橋さんの意味深な版画。エッセイに少しだけ不可思議な雰囲気を加える。それは筆者によく似合う。

 

それらが合わさった時、本作はドラマよりもドラマティックに色づいていく。

 

 
お似合いの二人だ。
 

 

まとめ。

 

筆者といえば小説の名手。小説を読まない人でも名前ぐらいは知っている知名度と卓越した文章の技術を持ち合わせた存在だ。手が届かない背中の痒いところに届くような物語には、いつもお世話になっている。

 

そんな筆者が、エッセイとなると一体どういう文章を書くのか。突如豹変してギャル文字を使うかもしれないし、象形文字を巧みに披露するかもしれない。そんなドキドキワクワク、止まらぬ高揚にページを捲ると、そこにはラジオが流れていた

 

当たり前かもしれないが、小説の時とは違う自然体な文章。読者に話しかけているような語り口。ペルシャ猫を抱いているようなリラックスした日常の延長線上にある物語は、筆者の新たな一面を教えてくれる。

 

そして、筆者のことだから、さぞかし小説のような日常を送ってきたのだろう、と思いきや日常生活はごく普通。にも拘わらず、しっかりとした展開と面白さでドラマが出来上がっている。小説とはまた違う、小説では描けない物語が本作には詰まっていた。

 

小説は好きだけど、エッセイはどうかなぁ、とおそるおそる手にした『村上ラヂオ』だが、村上さんの小説が好きな人にはぜひ読んでいただきたい一冊だ。