ご来訪に感謝。
ところで、こんなことを思う時がないだろうか?
- 無性にラジオが聴きたい。
- 無性にエッセイが読みたい。
- 日常のドラマというものを見てみたい。
ちょうどよかった。
そんな人にオススメのエッセイがある。
村上春樹・文、大橋歩・画 の『村上ラヂオ』だ。
『村上ラヂオ』は、丁度ラジオが聴きたくて、むむむ、ともがいていた僕に、頼んでもいないのにラジオを聴かせてくれる。
著者の50のエッセイと大橋歩の銅版画101点のコラボレーション。雑誌「anan」の好評連載が一冊に。しみじみ、ほのぼの。あなたの心にすとんとしみる、久しぶりのエッセイ集。(「BOOK」データベースより)
『村上春樹』とは...
1979年- 『風の歌を聴け』が第22回群像新人文学賞を受賞。
1982年- 『羊をめぐる冒険』が第4回野間文芸新人賞を受賞。
1985年- 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が第21回谷崎潤一郎賞を受賞。
1996年- 『ねじまき鳥クロニクル』が第47回読売文学賞を受賞。
1999年 - 『約束された場所で―underground 2』が第2回桑原武夫学芸賞を受賞。
2009年- 『1Q84』が第63回毎日出版文化賞を受賞。 エルサレム賞を受賞。スペイン芸術文学勲章の受勲。
『村上ラヂオ』とは...
作家、村上春樹さんが織りなす日常をドラマに変えるエッセイ。
文章と絵の調和がドラマに拍車をかける。
村上春樹さんと言えば小説の名手。
手の届かない痒いところに手が届くような小説には、いつもお世話になっている。
そんな村上さんが、エッセイとなると一体どういう文章を書くのか、止まらぬ高揚にページを捲ると、そこではラジオが流れていた。
当たり前かもしれないが、小説の時とは違う自然体な文体。
読者に話しかけているような語り口。
これをこのまま一字一句たがわずにラジオで流したら、オールナイトニッポンも真っ青になるのではないだろうか。
そして大橋歩さんの版画。
僕は大橋さんを知らなかったのだが、ここまで村上さんに合うイラストを僕は知らない。
絵に通じていない僕としては、何だこの不思議な絵は、と呆然とするわけなのだけれど、なぜかずっと見入ってしまうおかしな魅力がある。
この2人はきっと出会うべくして出会ったのだろうなぁ。
そんな奇跡に身震いさえしてしまう。
『普通』を『ドラマ』に変える思考回路。
村上さんなのだから、さぞかし小説のような日常を送ってきたのだろう、と思いきや日常生活はごく普通だ。
にも拘わらず、それがドラマとして成り立っている。
始まりはどれもドラマ性の欠片も感じないものから始まることが多いにも関わらず。
例えば、『異人さん』というワードを『いいじいさん』とか『にんじんさん』とか間違えている人がいて、それを広げに広げ村上さん独自の解釈により捌いていく話がある。
まず、僕は『いいじいさん』から3ページのエッセイを書くことは出来ない。
あわよくば、書けたとしても面白さの概念をどこかに置いた般若心経のようなものが出来るであろう。
村上さんは広げるだけではない。
そこに面白さのエッセンスと、とんでもない角度からの解釈、精密な何かを測定するメーターが振り切れるような知識、そして大橋さんの意味深な版画。
そいつらがこのエッセイをドラマよりもドラマティックに仕上げている。
小説は好きだけど、エッセイはどうかなぁ、とおそるおそる手にした『村上ラヂオ』
下手な小説よりもドラマティックな一冊だった。
ドイツの哲学者『ショウペンハウエル』は言った。
普通人は時をつぶすことに心を用い、才能ある人間が心を用いるのは、時を利用することである。
宝物のラジオのような一冊だった。