顔、顔、顔。

ご来訪に感謝。

ところで、こんなことを思う時がないだろうか?

 

  • 自分イケメンですから。
  • 他人の目が気になる。
  • 顔って何?

 

ちょうどよかった。

そんな人にオススメの小説がある。

安部 公房さんの『他人の顔』だ。

あらすじ

液体空気の爆発で受けた顔一面の蛭のようなケロイド瘢痕によって自分の顔を喪失してしまった男…失われた妻の愛をとりもどすために“他人の顔”をプラスチック製の仮面に仕立てて、妻を誘惑する男の自己回復のあがき…。特異な着想の中に執拗なまでに精緻な科学的記載をも交えて、“顔”というものに関わって生きている人間という存在の不安定さ、あいまいさを描く長編。

 他人の顔

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顔を失った男の企みが錯綜する。

 

顔を失えば。

顔を失った男。彼の気持ち悪さは折り紙付きだ。元々そうだったのか、それとも顔を失ったからそうなったのかはわからない。

 

もちろん僕には今のところ、取り返しのつかないどうしようもない顔があるので、彼の心境を完全に理解することは難しい。東大に入るよりも難しいかもしれない。

 

頭のいい人が顔を失うとそうなるのか、なんなのかわからないが、顔への粘り気のある執念とエゴは僕を不安にさせた。それはこの先の展開への不安でもあるし、もしも顔を失ってしまったらこのような不安に苛まされるのか、という怖さでもある。

 

複雑に絡まり合う男の思考はある3冊のノートに託される。そしてそれを読み始める、おまえ。この突然出てきた「おまえ」とは一体誰なのか。気になる冒頭から、男の企みの最終段階は始まってしまう。

 

包帯ぐるぐる。

顔を失う。間違いなく人生でワースト3位にロングヒットでチャートインするであろう出来事である。

 

人間は顔を見て、こいつは人間だと判断する。顔が猿であれば猿だと思うし、顔がナマケモノであればナマケモノであると思うはずだ。怠け者の人間を見ても怠け者と思うだろうけれど。

 

では顔が無ければ?

ぐるぐるの包帯で、顔が判別できていなければ?

 

おそらく漠然とした不穏を感じるだろう。「こいつは本当に人間なのか?」とまではいかないが、何かが引っ掛かって引き出しが上手く開いてくれないと思う。

 

だからこそ男の絶望は計り知れない。愛する妻にまで拒否反応を示された男は、仮面に着目する。ただの仮面ではない。精巧な仮面だ。

 

そいつは男なのか、仮面なのか。

仮面というのはいつの時代もミステリアスを象徴するアイテムである。エンタメ作品に現れる仮面をつけたキャラクターは大抵ミステリアスで、仮面の下には一体どんな秘密が隠されているのか、僕たちをまごまごさせる。

 

けれど男の作ろうとしている仮面はそういうものではない。もっと精巧で、人間の顔に限りなく近いものだ。本作の出版は1968年だが、この時代にその考えが出るのには、羊が「にゃあ」と鳴いてしまうぐらいに驚きだ。

 

男の仮面に対する行動力と思考力にも驚く。そこまでして何を得たいのだろうか、ここまでくるともうわからないのだが、男は「人生とは仮面である」とでも思っているかのように仮面作りに集中する。その必死さには敬服するしかない。

 

 頭が顔でいっぱいだ。

仮面を被り妻を誘惑する、という計画をたてる男。ユーチューバーであったなら「仮面を被り妻を誘惑してみた」というタイトルで100万再生はくだらないだろうが、サムネイル次第だろうか。

 

だが、これをプライベートでやるのは、やはり男はどこか壊れているのだと思う。それが顔を失ったからなのか、元々そういう人間だったのか、実際のところは判断がつかない。ただ、顔の消失がきっかけだったことは間違いないだろう。

 

それにしても顔とは何なのだろうか。

 

本作を読み、この記事を書いている間、ずっと顔について考えを巡らせてきたが、この抱えきれない漠然としたモヤモヤは何なのだろう。男気持ち悪いなぁと思っていたが、そういう思考になるのもわからなくはない気がしてきた。

 

もう顔について考えるのはしばらくやめることにしよう。