ノートに書かれた叫びのようなもの。

 
ご来訪に感謝。
ところで、こんなことを思う時がないだろうか?
 

 

  • 母親の豊胸手術はきついものがある。
  • 性って不思議だよね。
  • ノートで会話したい。

 

ちょうどよかった。

そんな人にオススメの小説がある。

川上 未映子さんの『乳と卵』だ。

 

あらすじ

娘の緑子を連れて大阪から上京してきた、「わたし」の姉でありホステスの巻子。巻子は豊胸手術を受けることに取り憑かれている。一方で、緑子は言葉を発することを拒否し、ノートに言葉を書き連ねる。夏の三日の間に展開される哀切なドラマは、身体と言葉の狂おしい交錯としての表現を極める!日本文学の風景を一夜にして変えた、芥川賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

乳と卵

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人は当たり前のように自分の性を許容して生きているが、よくよく考えると不思議である。

 

もう大人になってしまった僕は、ほとんど考えることはなくなったけれど、若かりし青春の日々、男性も女性も互いの性の摩訶不思議さに戸惑い、どこかの歯車が食い違っているような場面を思い出してしまう。

 

それはまるで解くことのできない。

それはまるで解くことのできない『なぞなぞ』のようだが、全く楽しくはない。言葉を拒否した緑子もそんな感覚だったのではないだろうか。

 

自分の身体が大人へと変わっていく不安。母親である巻子の仕事と豊胸手術。緑子の周りを蠢く性を醸し出すものは、緑子から言葉を奪い、こんにちわノート

 

夏の3日間。

本作はそんな女性の性を主軸にした3人の物語が描かれる。おおい、待ってくれぇ、と言っても止まってくれない文章たちは、彼女たちに不思議な夏の3日間をプレゼントしていった。

 

 
エッジのきいたプレゼントだ。
 

 

豊胸手術が生んだスケッチブック。

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性というのは、タブー扱いされている傾向がある。言っていいような、言うとしてどこまで言えばいいのか、そもそも何を言えばいいのか。そういうCIAのような機密性がある。

 

とくに異性間であれば尚更である。だからわからないのだが、豊胸手術とはとんな感覚なのだろうか。いや、わかったところで異性なのだから、気持ちとしてはわかるはずもないのだが。

 

胸を大きくしたい。

男性である僕は、胸を大きくしたいと思ったことはない。あったら一大事である。どちらかと言うと、僕というよりは親的に一大事だ。胸どころか、泣くとかそういう次元ではない波乱が大きくなってしまう。

 

だからこそ思うのだが、なぜそんなことをするのか? 

 

マジで。

本作はわたしの視点がメインとなっているため、巻子の正確な感情と豊胸の理由は察するしかない。もし男性のため、とかそういう理由なのであれば僕は声を大にして、拡声器を使って言いたい。

 

小さくても、それはそれで味がある。いや、ど下ネタじゃなくて、そういうことではなくて、いや、本当に。胸って個性だからね、人それぞれ違っていていいと思うんだ。僕は、マジで。

 

人には事情というものがある。

しかし、まぁ、人には事情というものがある。巻子にとって豊胸手術はやらなければいけないことだったのだろう。僕は大人なので、そういうこともあるのだろうと慮ることは出来る。

 

だが、未だ性が未熟な緑子にとってはどうだろうか。意味がわからなかったのではないだろうか。そこには自分は母親のようになりたくない、という抗いもあったのかもしれない。

 

闘牛士のマントのように。

それに自分も同じ性別。抵抗しても闘牛士のマントのように、するりとかわされ自分もやがてそうなるかもしれない。

 

自分の身体と精神的な得体の知れない変化は、戸惑いと不安、どこに向けていいのかわからない漠然とした怒りのようなものを生み出してしまった。

 

痛切な悲鳴のように。

ノートに書かれた彼女の言葉たちは、痛切な悲鳴のようにも聞こえる。やがて大人になっていく彼女は、その悲鳴と共存していくことが出来るのだろうか。それは僕にはわからない。

 

緑子の複雑な時期に生まれた複雑な気持ちが交差した夏の3日間は終わりを告げたのだから。

 

 
哀切な3日間だった。