死の議会は廃病院で。

 
ご来訪に感謝。
ところで、こんなことを思う時がないだろうか?
 

 

  • 死にたい、と思ったことがある。
  • 廃病院に常日頃から通っている。
  • ヘルペスにかかった。

 

ちょうどよかった。

そんな人にオススメの小説がある。

冲方 丁さんの『十二人の死にたい子どもたち』だ。

 

あらすじ

廃病院に集まった十二人の少年少女。彼らの目的は「安楽死」をすること。決を取り、全員一致で、それは実行されるはずだった。だが、病院のベッドには“十三人目”の少年の死体が。彼は何者で、なぜここにいるのか?「実行」を阻む問題に、十二人は議論を重ねていく。互いの思いの交錯する中で出された結論とは。(「BOOK」データベースより)

 

十二人の死にたい子どもたち

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絶望は散歩が大好きなようで、誰でも遭遇する可能性のあるもの。身を裂くような痛みを生じさせる絶望は、大人だろうと、子供だろうと容赦がない。同じようなものを、同じベクトルで与える。

 

絶望に招待され、死に導かれた十二人の少年少女たち。彼らの死にたい理由はそれぞれ違う。様々な絶望が漬物石のように重くのしかかっている。

 

死ぬ覚悟。

十二人の中には、それでよく死ぬ覚悟が持てたね、という人物もいるが、絶望の重さは、やはり人それぞれ。人によっては半年後の天気ぐらいどうでもいい理由が、隣の人にはファティマ第3の予言ぐらい重大な理由になることもあるのだ。

 

予想外の死。

そんな十二人が意気揚々と死への片道切符を手に集まった廃病院。さて、死にますか、と決断しようとするも、死の儀式は予想外の死によって妨げられてしまう。

 

まるで、どこかの誰かが死んでほしくない、と望んでいるかのように。

 

 
死が宙に浮いていく。 

 

出会ってしまった十二人。

死にたい』と『子どもたち』が合わさったキラーワードは、僕を、大地震でも起きたのか、と錯覚してしまうほどに揺らした。そりゃ生きていれば死にたくなることもあるだろうが、大人が言う死にたいと、子供が言う死にたいは衝撃が違う。もはやセカンドインパクトだ。

 

死ぬために出会った十二人。

死ぬために出会った十二人は悲しい。彼らが悲しいのか。彼らが生きている世界が悲しいのか。それは判然としない。

 

けれど、彼らは出会うべき十二人であった。一つのイレギュラーにより、重ねられていく議論は、彼らに意外なケミストリーを発生させていく。もちろんぶつかり合うこともあった。けれど、死にたい子供達同士だからこそわかりあえることもあった。

 

それは大人がどんなに語り伏せても解けない心の向こう側にそっと触れることができたからだと思う。

 

最後に彼らは結論を出す。議論と十三人目の正体は彼らをどんな答えに導いていくのか。

 

 
はたして。