文章の新たな楽しみ方と可能性その2。

 
ご来訪に感謝。
ところで、こんなことを思う時がないだろうか?
 

 

  • 変わったエッセイが読みたい。
  • もうエッセイじゃなくてもかまわない。
  • 感情の果てを見てみたい。

 

ちょうどよかった。

そんな人にオススメのエッセイがある。

町田 康さんの『テースト・オブ・苦虫〈2〉』だ。

 

あらすじ

生きていると出会ってしまう不条理な出来事の数々。口中に広がる人生の味は甘く、ときに苦い。「打ち合わせで打たれて歌ってる」「俺さんの研究」「だれが理解するかあ、ぼけ。」「始まっている泥棒」ほか、ちょっとビターなエッセイ集第二弾。(「BOOK」データベースより)

 

テースト・オブ・苦虫〈2〉

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やってくれた

 
世の中は常に流動している。社会情勢もそうだが、景色も建物も人の心も、止まったら死んでしまうマグロのふりをして、泳ぎ続ける。


ひょっとすると筆者も心を入れ替え、これです、これが随筆です、といったエッセイを書くのでは…という不安があったが、それは杞憂だった。筆者は相変わらずである。

 

小粋に踊らせた。

勢いはそのまま。筆を振り絞り、感情のままを掻きむしったエッセイは、僕を唖然とさせたが、ちょっとだけ慣れてきたのもあって、小粋に踊らせた。

 
筆者の作品を読むたびに思う。これだよ、これこれが町田康さんなのだよ。安心と高揚のデッドヒートが僕の心を支配した。

 

 
これぞ町田康さんだ!
 

 

駆け出せ馬の子。

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筆者は作家でありロッカー。小説を書くこともあれば、随筆も書くし、作詞もする。

 
作詞というのは難攻不落の江戸城のような存在で、簡単には無血開城してくれない。自分自身を問い、出てきたメッセージを苦心の末絞り出していく血の滲むような作業である。

 

書いてみて、ああでもない、こうでもない、と言いながら、消して、でまた書いてみて、なんだこりゃ? よくわからん、消そう。でまた書いて。気づけば10年の月日が経っていたこともままあるのではないだろうか、という体力の消耗が激しいものである。

 

筆者はプロ。

しかし筆者はプロ。プロというのは一度書いたものを消すことはしない。例えば思い出。それを消すことができるだろうか? 答えは否。消しゴムでは消すことのできないものを書くのがプロなのである。

 
馬の子供が

 
え…?

馬の子供…?

 
それなりに多くの音楽を聴いてきたと自負しているが、そんな歌詞は見たことがない。さすが筆者である。誰もが思い付かないメッセージを世に放とうとしているのだ。

 

それに続くのが、

 
駆け出した

 
ここに、馬の子供が駆け出した、という歌詞が誕生した。

 

愉快だ。

…え、だから何? 実は僕も思っていたことを筆者は煩悶しながらも、吹き飛んだ世界で繋ぎ合わせる。愉快だ。筆者は、なんて愉快な小説家兼デザイナー兼VJ兼フリーターなんだろうか。

 

 
そこに憧れる。