風に吹かれたから本屋を襲う。

 
ご来訪に感謝。
ところで、こんなことを思う時がないだろうか?
 

 

  • 本屋を襲いたい。
  • 途中参加でいいから物語に入りたい。
  • ボブディランが好きでたまらない。

 

ちょうどよかった。

そんな人にオススメの小説がある。

伊坂 幸太郎さんの『アヒルと鴨のコインロッカー』だ。

 

あらすじ

引っ越してきたアパートで出会ったのは、悪魔めいた印象の長身の青年。初対面だというのに、彼はいきなり「一緒に本屋を襲わないか」と持ちかけてきた。彼の標的は―たった一冊の広辞苑!?そんなおかしな話に乗る気などなかったのに、なぜか僕は決行の夜、モデルガンを手に書店の裏口に立ってしまったのだ!注目の気鋭が放つ清冽な傑作。第25回吉川英治文学新人賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

アヒルと鴨のコインロッカー

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初対面と物語の始まりは、入学時の友達作りぐらい大事なことで、そこでいかに興味をもてるかが決まってしまう。本作のはじまりは「一緒に本屋を襲わないか」

 

もしここで「ああ、いいですね、僕もそう思っていました」と簡単にかつ明快に返答したならば、僕はこの本を閉じていたかもしれないがそうではない。

 

なぜか決行することに。

そうではないのだが、なぜか決行することになってしまう不思議。おお、なんて思い切った物語なのだ。ここから何がはじまり、何が僕の心にのしのしやってくるのか、遠足当日のような楽しみに駆られる。

 

ボブディランが。

一見、唐突な展開に戸惑いもあったが、違和感はない。なぜならば、ずっと後ろでバッグバンドと思わしき方がボブディランをBGMとして演奏していらしたからだ。もちろん僕の脳内の出来事なので、実際にバッグバンドがいたわけではない。いたら近所迷惑である。でも確かに聴こえるのだ、ボブディランが。

 

常日頃からボブディランを聴いていたわけではないが、そんな僕でも耳にしたことがあるボブディラン。彼は幅広い音楽性をもち、今もなお残る影響力は世界中を席巻している。ノスタルジックな音に乗る、何かを主張しているような歌声は、風に吹かれて、今もどこかの場所で響きわたっていることだろう。

 

彼の音楽にのっかれば大抵の物語はボブディランのように流れていく。本作もそう。おかしなことなど何もないよとりあえず歌おうぜ。そんな気分にさせられる。

 

演奏する筆者。

もしかすると筆者は文字を使って演奏をしていたのではないだろうか。本作はミステリーの要素がある作品。なのにそう感じさせないのは、ボブディランの音楽と、それを演奏する筆者が奏でるメロディのせいなのかもしれない。

 

ボブディランでいっぱい。

物語は終盤へ向かうにつれ、熱を帯びてくるけれど、リズムやテンポが変わることはない。驚く展開もあったけれど、筆者は別に驚かせようと思っていたわけではないような気がする。ただ単に事実がそうだっただけだよ、たまたま驚くことがあっただけだよ、といった風情なだけで。きっとボブディランもそう歌っている。

 

演奏が終わった後も残る余韻は、今も僕の胸をボブディランでいっぱいにしている。

 

 
はち切れそう。
 

 

物語は既に始まっている。

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本好きとしては本屋を襲うなんてとんでもない。やめた方がいいですよ、店員さんはともかく、本が悲しみます、と身体をはってでも凶行を止めたいところだが、止められなかった。

 

仕方がなかったのだ。本作の物語はとうの昔からはじまっていたのだから。はじまってしまっている物語を止める術を僕は知らない。監督さんもどこかへ行ってしまったみたいだし、止めることはもはや不可能である。

 

彼こそが主人公。

青年に誘われた主人公。僕は彼こそが主人公であり、物語の主役だと思っていた。それはあながち間違っていないはずだ。

 

だが、彼は主人公でありながら、物語の介入者でもあった。具合が悪かったのか、それともやむを得ぬ事情があったのかわからないが、途中参加という、学校行事だとしたら気まずい状況からスタートしてしまった。

 

主人公は気まずそうに、まるで他人の家にでもはいっていくように、物語に入っていくわけだが、これがもう名演。主演男優賞と助演男優賞を史上初、同時にとってもおかしくはない。

 

風に吹かれていていなければ。

あの時、もしも彼が風に吹かれていていなければ、本作は別の形で終幕を迎えていたかもしれない。本当に彼が介入者で良かったと、心から思う。

 

 
たまには本屋を襲うのも悪くないのかもしれない。