ひねくれたええじゃないか。

 
ご来訪に感謝。
ところで、こんなことを思う時がないだろうか?
 

 

  • 自分は間違っていない。
  • 太陽の塔を見たい。
  • ええじゃないか、ええじゃないか。

 

ちょうどよかった。

そんな人にオススメの小説がある。

森見 登美彦さんの『太陽の塔』だ。

 

あらすじ

何かしらの点で彼らは根本的に間違っている。なぜなら私が間違っているはずがないからだ、と宣う、ひねくれた学生の夢想を描いたデビュー作。第15回日本ファンタジーノベル大賞大賞受賞作。(「BOOK」データベースより)

 

 

太陽の塔

f:id:s-utage:20210425061539j:plain

滅茶苦茶に森見登美彦さんである。どこからどう見ても、これは森見さんだ、間違いない、と確信をもって言える。きっとこの世に生をうけた時から、既に森見さんは森見さんだったのだろう。

 

恋心と勢い。

そんな森見さんが作り出したものは、恋心と勢い

 
うわあ…と思わず口から出してはいけない種類の吐息が漏れてしまう主人公の恋心は見ていて気味が悪い。100人中95人の人は、彼に嫌悪感を抱き、蔑むことだろう。

 
だが、残りの5人は彼を勇敢なる者、略して勇者と崇めることだろう。何を隠そう、その内1人は僕である。

 

不器用にひねくれた恋心。

彼の不器用にひねくれた恋心は、物語のもうよくわからない勢いの凄まじさの中にひっそりと浮かび、やがて同化して切なさや歯痒さや儚さを僕に投下していく。なんてことだ。こんな勢いのある哀愁を感じたのは初めてだ。

 
まあ、それも、ええじゃないか、と思うけれども。

 

 
ええじゃないか、ええじゃないか。
 

 

ただのストーカーではない。

f:id:s-utage:20210425061540j:plain

自信を持つことは、地域のゴミ拾いぐらい素晴らしいことである。しかし、何事も持ちすぎるのはよくない。重量挙げも、そばの宅配も、水の分量を間違えた白米も、もちすぎるのはよくない。

 
もちすぎた自信は、過信となり、それ以上いくと痛い人になる。そう、主人公は痛い人かもしれない。

 

恋をしていた。

物語が進むにつれ、痛みは自分自信に降りかかっていく。いや、最初から痛んでいたのかもしれないけれど、彼のポップな自信からは想像にし難く、パーフェクト痛い人だと思い込んでいた。

 
けれど、その痛みを仄かに感じて、僕は確信に至った。彼はただのストーカーではない。雲を突き抜けた過信人間でもなければ、パーフェクト痛いマンでもない。

 
ただ恋をしていたのだ。そんな彼を、僕は超ストーカーと呼びたい。

 

胸が締め付けられる。

それにしても、まさか序盤の流れから、こんな胸が締め付けられるようなことになるとは思わなかったが、考えてみれば筆者はいつもそう。いい意味で期待を裏切ってくれる。さすがだ。

 

 
一生ついていこうと思う。