光と影と罪と罰と。

 
ご来訪に感謝。
ところで、こんなことを思う時がないだろうか?
 
  • 白鳥もコウモリも大好きだ。
  • 罪と罰について考えることがある。
  • 優しいだけの男に飽きた。

 

ちょうどよかった。

そんな人にオススメの小説がある。

それは『東野圭吾』さんの…

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ばーん!

 

白鳥とコウモリとあらすじ。

遺体で発見された善良な弁護士。一人の男が殺害を自供し事件は解決ーのはずだった。幸せな日々は、もう手放さなければならない。東野版『罪と罰』。(「BOOK」データベースより)

 

 

どんな話?

周りの人から見ても、その弁護士はとてもいい人だった。とても殺されるような理由がある人物とは思えない。それとも僕には見えない理由があるのだろうか。

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よし犯人を捜そう、と思いきや自供しちゃった。きっかけは過去にあったらしい。というか、時間でも巻いているのだろうか、急ピッチに事件は進んでいく。あれ、でもなんか、らしくなくない?

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些細な疑問。それは予想もしない波乱を孕んでいた。どうしてくれるんだ。びっくりして白鳥とコウモリの色が逆になってしまうではないか。

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ここがおもしろい。

 
  • 優しさが世界を救わない時もある。
  • 犯人が自供しちゃった。
  • 平穏な日々。

 

優しさが世界を救わない時もある。

 

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世の中で一番大事なことは何だろうか。悟りを開く釈迦さんのように、思考をいたる所に張り巡らせていると、優しさ、ではないだろうか、と辿り着いた。どんなに殺伐とした状況でも誰かが優しさを持ってさえいれば、あら、不思議、笑顔の連鎖の始まりである。

 
本作の登場人物たちはみんな優しかった。思いやりをもち、家族を愛していた。理想の、僕が悟りを開こうと思っていた優しさだ。それでみんな幸せになるはずだった

 
ところが、人生とはそう上手くはいかないものである。優しさとは何か、その先を考えるのをやめてしまっていたのだ。

 

 
優しいだけの男に用はない。 

 

犯人が自供しちゃった。

 

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筆者は殺人事件のエキスパート。そんじょそこらの量産系殺人犯よりも、多くの殺人事件に関与している。そんな筆者は今回、僕をどんな殺人事件に誘ってくれるのだろうか、とワクワクが止まらなかったのも束の間、犯人が自供してしまったではないか。

 
どうしてくれるんだ。あと何ページあると思っているんだ。人を殺せそうなハードカバーの厚みを感じながら、僕がふんぷんとしていると、何かおかしくない? という声がどこかからか聞こえてくる。

 
、幻聴? いや、これはしっかりとした意思により、違和感を訴える声だ。おかしい、らしくない。微かな違和感は物語と僕を掻き乱し、ごろごろと転がっていく。青天の霹靂である。

 

 
自供してからが事件だ。 

 

平穏な日々。

 

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平穏な日々とはつまらないものである。たまには何か大きな出来事や事件があってもいいのに。もっと波打つ人生をおくりたい。僕は波乗りジョニーになるんだ。そんな夢を見ていたことがありました。

 

けれど、本作を読み思うのは、平穏がどれだけ幸せなことなのか、ということだ。

 

人生は適当に生きようが、必死に頑張ろうが、それなりの苦労と努力を重ねてきたはずだ。なのに、しかも、自分は何もしていないというのに、突如歴代不運ランキングの中でもベスト3位以内には入るであろう出来事が襲い掛かってくる。なんでやねん! 関西人でなくてもつい言ってしまう。なんでやねん!

 

僕は言い切りたい。平穏な日々を淡々と生きることは幸せである、と。白鳥とコウモリはそれを、野菜を切ろうとしたらまな板まで切ってしまったぐらい痛感していることだろう。

 

 
なんでだろう。
 

 

まとめ。

 

やはり筆者は人間を描くのが上手い。それは過去作でもわかっていたことではあったが、改めて再認識した。

 
幸せに暮らしたいたはずの生活。それが一変。身に覚えのない罰を与えられてちんぷんかんぷん。そこに余計なファンタジーなど必要ないぞ、と言わんばかりに描かれた人間は、ひどくリアルにどよめく。

 
さすがだなぁ、と思いつつも気になったのが、筆者の過去作『白夜行』『手紙』とは少しだけ人間のベクトルが違うような気がすることである。なんというか、動いている、というよりは動かされている感があるのだ。

 
そこで僕はドフトエフスキーの『罪と罰』を思い出す。少々難解で、ロシアネームのややこしさ地獄にハマりつつも、筆者の、罪と罰を探してやるぞ! というほとばしる熱意を、僕は未だに忘れていない。

 
そうか。筆者もそうしようとしていたのかもしれない。もちろんプロットはしっかりと作られているだろうから、展開は決まっているのだと思う。けれど、その範囲内で登場人物を使い、罪と罰を模索しようとしていたのではないだろうか。

 
だから、というわけではないが、今まで筆者の作品を読んできた人ならば、登場人物たちの熱というか、どこか物足りなさを感じるかもしれない。けれど、これが筆者の新たなる可能性だとしたら、もう称賛とかそういうレベルではないエグみを感じる。いい意味で

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