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どうも、宴です。
東日本大震災は衝撃的でした。今でも、画面越しに見た映像が鮮明に脳に焼き付いていて、心を抉られます。痛みを感じます。でも、その痛みは被災された方々とは違う痛みなのです。
ということで、今回はくどうれいんさんの『氷柱の声』をご紹介させていただきます。
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氷柱の声/くどうれいん
東日本大震災が起きたとき、伊智花は盛岡の高校生だった。それからの10年の時間をたどり、人びとの経験や思いを語る声を紡いでいく、著者初めての小説。第165回芥川賞候補作。(「BOOK」データベースより)
苦しさ | 9/10点 |
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ドキドキ | 5/10点 |
感動 | 7/10点 |
切なさ | 8/10点 |
読みやすさ | 9/10点 |
総評 | 7/10点 |
書評・感想文
東日本大震災
衝撃的な出来事や傷つく出来事があった際、当事者には痛みが生じます。当事者にしかわからない痛みです。でも、その痛みは当事者だけのものではありません。間接的に関わった人、近くにいた人にも痛みが生じてしまうのです。もちろん当事者に比べれば些細なものかもしれませんが、きっとそれは当事者にはわからない痛みなのです。
2011年3月11日…大きな出来事がありました。東日本大震災です。僕は遠い場所から見ていた傍観者なのですが、当時はもちろんのこと、今でもニュースの映像やドキュメンタリーなどを見ると、抉られたかのように胸が痛くなります。
震災を直接体験しているわけでもないですし、被災された方々に比べれば全然たいしたことないのですが、それでも痛みが生じてしまうのです。きっとこの痛みは被災された方々とは違う痛みなのだと感じます。でも、痛みは痛みなのです。
痛いものは痛い
本作『氷柱の声』は、そういう痛みを描いています。震災は大切な人を失ったり、傷ついたりした人だけではなく、間接的に関わった人や近くにいる人たちにも影響を与えるものです。誰も無傷ではいられないのです。ただその痛みは、少しだけ事情が違います。
くどうれいんさんはそういった震災の周りにいた人たちの痛みを様々な形で本作に書き記しるしました。痛いものは痛い。人はその痛みに大小をつけるかもしれませんが、全て痛みであり、痛いと言っていいのだ。それが震災のリアルの一片でもあるのだから、と。
忘れてはいけない声
テレビで取り上げられるのはどうしても、直接の被害を受けた人たちが多いです。その周りにいた人の声はなかなか聞こえてきません。だから、こうして小説という媒体を通して垣間見えた震災の別角度は衝撃的でしたし、考えさせられるものがありました。
当事者ではなくても、痛みを伝えることは悪いことではない。それも1つの痛みなのだから。本作『氷柱の声』は、そう言っています。震災を知る上で、忘れてはいけない声です。
心に残った言葉・名言
震災のことを「あのお、そういう、事が起きた」としかいえないような人が言う「希望のひかり」って、いったい何なのだろう。
でもしょうがない。なるようにしかならないし、神様が振ったサイコロのことなら何を恨んでもなあって
ガラスの中に閉じ込められてそこに『二〇一一年三月十一日』ってキャプションが付いたとた、『特別な意味』になってしまうって、残酷。
『今やること』がないなら作るしかない。自分がいちばん納得するようにやるんだよ
くどうれいんさんの他作品
最後に
被災された人、その周辺にいた人、震災のことを別角度から見てみたい人にはおすすめなので、ぜひ読んでみてね!
それでは本日はこのへんで。
ご覧いただきありがとうございました。