ご覧いただきありがとうございます。
どうも、宴です。
そんな物語があります。
小池真理子さんの『月夜の森の梟』というエッセイです。
月夜の森の梟
「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」作家夫婦は病と死に向きあい、どのように過ごしたのか。残された著者は過去の記憶の不意うちに苦しみ、その後を生き抜く。心の底から生きることを励ます喪失エッセイ52編。(「BOOK」データベースより)
愛が詰まった52編
愛というのはなかなか表現しづらいもの。
形にしずらいものです。
だから見えずらいのです。
とくに他人の愛というものは。
でも、この度それは形となって出現しました。
本作にはまごうことなき愛が詰まっています。
だって…
大切な人に関するエピソードを52編もみなさんは出すことができますか?
僕は出せません。
捻り出せばひょっとしたら出るのかもしれませんが、それを文章や形にすることは難しいし、無理です。
それに52編中、30編ぐらいは同じような話になってしまう気がします。
まぁ、小池真理子さんもひょっとしたら無理やり捻り出した、という可能性もあります。
けれど、エッセイの中ではそんなこと微塵も感じさせませんでした。
普通のエピソードを話している時に、そういえばあの人も…と、ふと思い出したような…さも自然に大切な人の物語が広がっていくような...
そういう自然体な愛が本作には詰まっているのです。
喪失の世界
夫婦は心中でもしない限り一緒にこの世から消えることはできません。
ほとんどのケースはどちらかが生き続けていくわけです。
はたして、その世界は一体どんな色をしているのでしょうか?
僕には喪失した経験がないですし、多くの人はまだ経験していないのではないでしょうか。
そういう未だ見えない喪失の世界が本作には広がっています。
切なくて儚い…
いや、それ以上の言葉にはできない世界と感覚。
本作はそんな喪失の世界の一端を垣間見ることができます。
エッセイが上手い
僕は今までたくさんの小説やエッセイを読んできました。
きたのですが、未だに上手い小説やエッセイというものがどんなものかはわかっていません。
この文章が好き、この作風が好きとかはあるものの、これが小説とエッセイの上手いだよー、と説明することもできなければ、人に尋ねられた時に答えることもできません。
そんな僕が今、強く主張したいのが本作のエッセイは文章が上手いということです。
具体的にどういうこと、どこが? と問い詰められると、「よくわかりませんでした!」と言うしかないのですが、明らかに上手いと感じます。
とにかく読んでほしいです。
きっと上手い! って思いますから。
爆笑をかっさらうエッセイもいいですし、ためになるエッセイもいいのですが、実直に文章というもので魅せるエッセイ…
本当に本当に最高です。
本作がおすすめな人
本作がおすすめなのはこんな方々です。
大切な人を亡くした人
本作は大切な人を亡くした筆者の喪失エッセイです。
大切な人を亡くした人には、すごく共感できるのではないでしょうか。
愛を感じたい人
これぞ夫婦の最終形態だな…僕はそう思いました。
今まで感じたことのないような愛がじんわりと心に染み込んでいくことでしょう。
素敵なエッセイを読みたい人
心に残った言葉・名言
死んで天国に行って、こんなことがあったよ、と神様と楽しくおしゃべりする道と、小鳥になって生きる道があるとしたら、どっちを選ぶ?
これだけ「死」が身近にあるというのに、時代が「死」を隠蔽している。「死」は今や、未経験の人間にとってバーチャルなものでしかない。
死は当人にとっての永遠の安息であると同時に、身近な者にも或る種の安息を与える。自分以外の生命体の行く末を案じ、怯え、不安に恐れおののく必要がなくなるという意味において、これ以上の安息はない。
総評
今回は小池真理子さんの『月夜の森の梟』を紹介しました。
1952年、東京生まれ。成蹊大学文学部卒業。78年、エッセイ集『知的悪女のすすめ』で作家デビュー、同書はベストセラーになり、一躍、時の人に。89年『妻の女友達』で日本推理作家協会賞、96年『恋』で直木賞、98年『欲望』で島清恋愛文学賞、2006年『虹の彼方』で柴田錬三郎賞、12年『無花果の森』で芸術選奨文部科学大臣賞、13年『沈黙のひと』で吉川英治文学賞を受賞(「BOOK」データベースより)
個性 | 8/10点 |
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エピソード | 7/10点 |
共感 | 8/10点 |
為になる | 9/10点 |
文章 | 10/10点 |
総評 | 43/50点 |
ぜひ読んでみてくださいね!
それでは本日はこのへんで。
ご覧いただきありがとうございました。